それから数十分後。塔に入ってから、既に四、五時間は経過した頃だった。レンが階段を上り終えると、そこには今までの同じ風景とは違い、全く構造の違う場所に出た。塔の底面積のちょうど半分の面積のある部屋、つまりその階の半分ぴったりが、丸ごと部屋になっている。そして突き当りには、小さな扉が、ひとつ。
「ここ……っ」
「どうやら、最上階に着いたようだな」
レンが言う通りで、ここは塔の最上階であった。ここに来るまでの道のりは決して楽なものではなく、それは、二人の衣服の血の汚れや疲労でもわかることだ。しかし、誰一人として帰ってこなかった難攻不落の塔にしては、どこか呆気ない気がする。それを疑問に思ったシーアは嘆く。
「あの扉を開けたら異空間に通じてて、続きがありましたーなんてことはないよね……」
「それは勘弁だな。もう当分こんな建物には入りたくないし」
どうやらこの階にはモンスターがいないらしく、なんの気配もない。一応の用心をしながら二人は突き当たりの扉まで行き、まじまじと眺めてみる。
「これ、施錠魔法がかかってる。モンスターが壊したり、入ったりできないように」
扉を手でゆっくりと撫でながら言うシーア。
「俺達は入れそうか?」
「うん、人間なら入れるみたい。普通は人間を入らせない魔法なのにね。鍵もかかってないし」
普通の大きさの扉は、施錠魔法によるプロテクトがかかっている以外は、なんの特別なこともなく、綺麗な装飾が施してあるだけだった。けれど、もしあるとすれば、宝はこの扉の先に違いない。
「……開けるか?」
「うん……モンスターの罠も、人為的な罠もなさそうだけど……」
レンが、よし、と扉の取っ手を握った時、はっとして急に手を離す。
「……!シーア!歌が……聞こえる!」
あの時聞こえていた美しい歌声は、一度途切れてから聞こえていなかったのだが、ここに来てまた再び聞こえ出したのだ。今度は随分と近くから聞こえる。
「この扉の向こうからよっ……!でも、モンスターは入れないし、けど、人間がこの塔にいるはずは……!」
シーアは混乱しているが、対してレンは、扉の取っ手から一度離した手を、再び取っ手に近付けながら呟く。
「……やっぱり……!」
そのまま勢いよくレンが扉を開ける。すると、どこから流れてきたのか、扉の先から大量の風が舞い込んできた。二人の髪と衣服は風に吹かれ、後ろに強くなびく。
「レン!」
いきなり扉を開けたレンにシーアは驚いたが、それよりももっと驚くことがあった。強い風によろけ、顔をしかめながらも、レンとシーアは扉の先にある、最上階の、最奥の部屋の光景をしっかりと見た。
「宝は……歌声の主は……!」
風がやむ。どうやら部屋には大きな窓があったらしく、外の強風が室内を抜け、扉を抜けてきたらしい。風がやんで落ち着いたその部屋の中心にある、綺麗な布とレースでできたベッドには、現状に驚いた表情を見せる、十八から十九歳ほどの少女が座っていた。
「……これが宝の正体……」
レンとシーアは扉の前に立ったまま、部屋を見回す。部屋には、人が一人暮らせるほどの設備と、その住人と思われる少女が、たった一人。金銀財宝などは、なにもない。これが、現王の実兄、元第一王子の宝の正体だった。
二人が動けずにいると、少女がゆっくりと言葉を連ねる。
「何で、貴方たちは……。……もしかして貴方、エン……っ?」
少女は目を見開き、レンに向かって声をかける。それを聞いたレンは俯き、首を横に振り、言った。
「残念ながら、エンディニシスは、二十八歳の時……今から九年前に、亡くなりましたよ」
その言葉を聞いた途端、少女はショックで涙を流し、顔を手で覆い、その場に崩れこむ。
「……そんなっ……エンが……!」
レンも少女も分かったように会話をするが、シーアには何がなんだか皆目見当がつかない。シーアが次々と疑問をレンに投げかける。
「ねぇ、レン、どうゆうこと……?その子を知ってるの?エンって誰?九年前って何?」
「……ごめんな、ちゃんと言ってなくて。……今から話すよ」
レンは泣いている少女をちらっと見ると、ゆっくりと話し出した。
「まずは……この塔について話すよ。この塔は、歌の主である彼女を世間一般から隔離するために作られた。エンディニシスと、彼女が出会ったその年に」
レンは部屋にあった大きめの椅子に座り、少女とシーアをベッドに座らせる。少女もシーアも、レンが話すことを一言たりとも聞き逃すまいとしてレンを見つめる。
「それが十二年前。エンディニシスが二十五歳だった時だ」
シーアは先ほどから最も気になっていることをレンに尋ねる。
「ねえ、その『えんでぃにしす』って、誰?」
「そうだな……現王の実兄、いや、元第一王子の方がわかりやすいだろう」
それを聞くと、シーアはなるほど、と相槌を打ち、少女は俯く。
「元第一王子は十二年前に、冒険の途中、ある少女に出会った。それが貴女だ。そして、貴女に恋をした」
少女は小さく頷く。大きな瞳からは大粒の涙が溢れ、流れる。
「どうぞ、ハンカチ、使って?」
シーアは見ていられず、ポケットからハンカチを出し、少女に渡した。少女はか細い声で「ありがとう」と言い、涙を拭く。
「元第一王子は、身寄りの全くいない貴女を、王宮に連れて帰ろうとしたが……問題があった。貴女は、ある血をひいていた」
少女がびくっと身体を震わす。シーアはそっと少女の背中を撫でてやった。少女はなおも涙を流しながら、震えた声で言う。
「私は……呪われた血を……」
「呪われているわけではないけど……問題のある血だったんでしょう。貴女は、メドゥーサの血をひいていた」
「え?メドゥーサって、古代にいた妖怪の一人よね?でもそれはペルセウスが倒したんでしょ?」
シーアは不思議そうに首を傾げる。
「そうだ。その血溜まりからペガサスが生まれた……。そしてその後、その血に直に触れてしまった少女がいた。ペガサスが泉に浸かる前、つまりまだペガサスにメドゥーサの血が付いている時に出会ったからだ。それが貴女の祖先で、その血に触れたことにより、メドゥーサの目の力、見たものを石に変える力が備わってしまった。だから、簡単に都会に連れて行くわけにはいかなかったんだ」
レンはたんたんと話しているが、目はとても悲しそうだった。シーアにはレンが何を考えているのか未だよく分からず、様子をうかがっている。
「血だけでそんなことが……」
「いつの時代もどの生き物も、子孫を残すことに相当の執着があるってことだな。彼女の場合、元が人間だったから半妖人になってしまったけれど」
少女は自分の生い立ちを知っていたらしく、何度か小さく頷いた。すると、シーアが肝心のことに気づく。
「ねぇ、じゃあ何で元第一王子は石にならなかったの?……あ、あれ?なんで私たちも平気なのっ!」
シーアがもう一度少女を恐る恐る見てみるが、自分が石になる感覚は伝わってこない。
「それは……エンは生まれつき、盲目だったから……。でも、貴方たちは……何故?」
「俺たちが平気なのは、貴女が既に、『霊』だからですよ。『霊』になった状態では、貴女のその力の効果が及ぶことはない。知らなかったようですね」
「なら……エンを探しに行けば良かった……霊なら人を石にしないと分かっていれば、探しに行ったのに……!」
少女は止まりかけていた涙を、再び流す。
「えーと……なんで第一王子は彼女を残して亡くなったの?病気?そして彼女は何故亡くなったの?」
知っていることが少なくて、さらに混乱するシーア。レンも順を追って話すべきだな、とさらに話を続けた。
「王子は、彼女を近くにおきたいがために、城の術師を集めて、内密にことを進めて、直ぐに塔を完成させた。それがこの塔だ。そして彼女はここに住まわされた。毎日王子は通いつめて、彼女のために衣服、食料、沢山を持ってきた。そして……彼女に結婚を申し入れたんだ」
「えっ……」
シーアは顔を赤くして少女を見るが、少女は沈んだきりだ。
「彼女は喜んだけれど……自分のメドゥーサの力が邪魔をして、なかなか踏み切れなかったんだ。それを聞いた王子は、彼女の力を消す薬を調合しようと、必要な薬草を探しに行った。それが、十年前」
レンがそう言うと、少女は急に顔を上げ、声を張り上げて言った。
「そんな!私はそんな……聞いてません!」
「でしょうね。王子は誰にも言わずに、一人こっそりと薬草を探しに行った。貴女を驚かせ、喜ばせるために。しかし、薬草を採るのに夢中になっているうちに周囲に気を配ることを忘れ、モンスターに囲まれ……戦い、なんとか振り切って城まで戻ってきた時には既に血塗れで、直ぐに医務室に運ばれたが……」
シーアはショックで手を口にあてたまま固まる。少女も同じく、身体を捩じらせて泣くばかりだった。
「そんな、そんな……私はてっきり捨てられたなんて……でも信じて……そんな……!」
「そして貴女はその二年後、今から七年前に塔が閉鎖された時に、食料が絶えたが外に出ることを恐れ、そのまま飢餓で亡くなられた……」
そこまで聞くと、シーアは泣きながらレンにすがる。
「何それ!なんでそんな……悲しいのっ?王子は彼女が好きで……彼女も王子が好きだったのに……!」
「俺だって!十年前はまだ六歳で、小さくて、どうすることも出来なかったんだ!だから、せめて父が残した宝を守りたくて、真実を伝えたくて、ここまで来たんだ!」
「!」
シーアはレンの言葉を疑い、じっとレンを見つめる。少女も驚き、顔を上げる。
「今……なんて……」
「黙ってて悪かった、シーア。でも、ここに来るまでは、黙っておくつもりで……。第一王子の名はエンディニシス・K・アスタリア」
「やっぱり……レン……!」
「……俺はその側室との子、レンディニシス・K・アスタリアだ。レン・J・アゼッタは仮の、名前」
シーアが考えたように、レンは王家の血を継いだ、れっきとした王子であった。そして、相棒のシーアにすらその素性を隠し、トレジャーハンターに身を投じていた。レンが王家となれば、元第一王子のエンディニシスの最期を看取っているし、王宮のことにやたらと詳しいことにも合点がいく。王子がどう暮らしてきたかも、本人からいくらでも聞くことができたのだろう。
「だから……貴方、エンに似て……」
「はい。しかし……父は貴方を正室に迎えたかったようですよ。わざわざ母を側室を娶ったのは、もしものために、自分の血を絶やさないように。その血を受け継いだのが、私です。父は随分と勝手な人だったようで……迷惑をかけました」
レンが自分の父の代わりに詫びると、少女は顔を横に振り、小さく笑ってみせた。
「ありがとう、貴方……いえ、貴方たちのお陰で、私は真実を知ることができました……」
「私も、父の宝を見ることができて嬉しいです。父は、貴方の歌声、貴方自身を宝とした」
レンも少女に向かって優しく微笑む。
「エンは……こんな私を好きになってくれた、私の最愛の人なんです」
「そう言って頂けると父も喜ぶでしょう」
この塔を上るときのような、トレジャーハンターのレンはここにはいなく、王家としてのレンディニシスが今は喋っていた。そんなレンを見ながら、ずっと黙っていたシーアは立ち上がった。レンと少女は何かと思ってシーアを見る。
「これから……貴女を転換します。王子のもとに、いけるように……」
「シーアさん……?」
「そうか……貴女は『霊』であるから、冥界にはいけない。しかし、シーアの転換魔法なら、貴女を『魂』にできる!」
モンスターの出所は、現在ではまだ判明していない。しかし、モンスターが肉体的に「死ぬ」ときは、必ず「霊」に変わる。「霊」になったモンスターは、一生この世を離れることはできない。人間と同じように「死ぬ」ことはできない。そして放浪に放浪を重ねたその時に、その「霊」が動植物に干渉を始め、取り付き、またモンスターとして「生まれる」。これが、諸悪の根源、永遠の負のサイクル、モンスターがこの世から消え去らない理由でもあった。
「大丈夫、怖くない。必ず貴女を、王子のもとへ送ってみせる……!」
シーアは今まで一番強く思いを込めて、少女が二度とさまよわぬよう、転換した。
「……ありがとう……」
優しく、綺麗で美しい歌声が塔に響いた。
「目が覚めたか?」
シーアが目を覚ますと、陽の光が眩しく、一旦目を強く閉じた。どうやら、塔の外に出ていたようで、頬に当たるそよ風が気持ちいい。レンが抱えて出てきたのだ。転換魔法は、もちろんしっかりと成功していた。
「レン……?」
「彼女は半妖人だったし、既に霊だったから転換が難しかったんだろう。魔力の消費でお前倒れるから、びっくりしたんだぞ」
「……覚えてない……」
「まったく、シーアは物忘れが激しいな」
からからと笑うレンを、シーアはじっと見つめ、そして微笑む。
「……レンは、レンだよねっ」
「当たり前のことを言うな、アホか」
レンがシーアの頬をつねる。シーアは怒りながらも、レンがいつも通りであることに安心したのだった。
シーアが微笑みながら言った。
「それにしても、綺麗な歌声だったねぇ」
二人は塔を、夕陽の光に目を細めながら見上げ、風をうけて立っている。
「あぁ。……そういえば、父さんが死ぬ間際に、俺にだけもう一つ言ったことがあるんだ」
「何て?」
「『その美しき歌声よ、永遠なれ』」
レンがそう言いながら微笑み、目を閉じる。シーアも同じように目を閉じた。
「聞こえるよね。今も、あの歌声が」
「あぁ。いつか、俺もあんな美しい宝を見つけられたら……そう、思うよ」